1月読書追加

最近の土日は社外研修やら出張やらでつぶれておりました。
コーチングの研修はとっても意味がありました。
使っていきたいと思っています。

さて5冊ほど読みました。


論語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

論語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

研究者のようですが、中学生にも読めるようにということで、孔子の一生を追いながら平易な言葉で解説しています。
心があらわれるようでした。
現代にも通じることは多々ありますし、日ごろから意識しなければならにことも非常に多かったです。

  • 特定の師と限らなくとも、世には学ぶべき師は多いとするのは、孔子自身の実体験のような感じです。
  • 詩・書を学び、礼・楽を身につけることが、学校で学ぶ重要な内容となる。
  • 西洋でも中世以降、文法・修辞学・論理学・算術・地理・天文学・音楽の7科目がリベラルアーツと呼ばれ、学習された。
  • 儒教の「汎愛・博愛」は、広くだれに対しても平等に愛するというような、いわばキリスト教における神のような愛し方とは違う。まず、親を愛し、兄弟姉妹を愛し・・・家族を愛しつくしたあと、友人など近くの人を愛し、というふうに、順番に相手を広げていくという意味でも「汎愛・博愛」である。
  • 人に知られないということは、恥ずべきことではない。が、人を知らないということは、恥ずべきことである。
  • 法の適用は大切だが、もっと大切なことがある。それは道徳を身につけることである。道徳に従って生活すると、法はやむをえないときだけに適用すればすむ。
  • 子曰く、学びて思わざれば、則ちくらし。思いて学ばざれば、則ちあやうし。
  • 「人の長所を言い、短所は忘れることによって、長くつきあいができるのだ」(孔子
  • 古典を読む人は、古典の文字だけを読むのではなくて、古典の文字のそのこころを読むことが大切です。その<古典の文字のこころ>は、読む人の気持ちに沿うものです。ですから、時には以前読んだときとは違う理解をすることがあっても、すこしもおかしくはありません。
  • 子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。
  • 「唯だ酒は量無けれども、乱に及ばず」(郷党篇) 酒の飲む量は決まっていないが、乱れるまでは飲まない。
  • 顔淵死す。子曰く、噫、天予を喪ぼせり、天予を喪ぼせり、と。
  • ①祖先の人々を慰霊すること(過去)、②親を愛すること(現在)、③子孫一族が続いていくこと(未来)、この三つをあわせて孝とするのが儒教である。
  • 「友」という漢字は、手を取り合って助け合う、仲良くするというところから来ている。そうした仲の良さとは上下の関係ではありません。左右の関係すなわち平等の関係なのです。.
  • 学問は<深い知識>だけではなくて、人間としての十分なありかた、人間性の培養を求めたのです。これは広くは、<豊かな道徳性>と言っていいでしょう。すなわち、<深い知識>に加えて<豊かな道徳性>があること、つまりは<教養人の養成>でした。この教養人であること、それを為政者の条件としたのです。
  • ぜん求曰く、子の道を説ばざるに非ず。力足らざるなり、と。子曰く、力足らざる者は、中道にして廃す。今女は画れり、と。
  • いくら財産を積み上げても、死ねばそれまでです。死後の世界に持ってゆけるわけではないからです。それに反して、たとい豊かでなくとも、その人が、人々の心に残る人であったとしたならば、その死後、家族の他に、いろいろな人が想い出し偲んでくれるでしょう。そのほうがはるかに幸せではないでしょうかつまり、生き方がその人の人生の精神的柱となることに意味があります。
  • 仏教を開いたシャカやキリスト教を開いたイエス・キリストは、<多数者や全体の幸福>を、宗教を通じて実現しようとしましたが、孔子は宗教ではなくて政治をもって実現しようとしたのである。
  • 孔子曰く、命を知らざれば、以て君子と為る無きなり。礼を知らざれば、以て立つ無きなり。言を知らざれば、以て人を知る無きなり。

著者の解説も含めて刺さる言葉が多いです。



そして中島らもガダラの豚です。

ガダラの豚 1 (集英社文庫)

ガダラの豚 1 (集英社文庫)

ガダラの豚 2 (集英社文庫)

ガダラの豚 2 (集英社文庫)

ガダラの豚 3 (集英社文庫)

ガダラの豚 3 (集英社文庫)


某巨大掲示板で徹夜してでも読みたい本とあったので、積読がもう少し残っているにも関わらず、浮気して読んでしまいました。
さすが中島らも先生、ぶっ飛んではいるんですが、押さえるところは押さえているというか、真面目なところとふざけたところが絶妙なため、背筋が凍りつく瞬間が何度もありました。
徹夜はしませんでしたが、2晩で読み終えました。

アフリカはケニア雄大な景色の描写は非常に引き込まれますし、比較的数の多い登場人物もそれぞれキャラが立っていて本当に面白かったのですが、それだけに3巻の完成度が1・2巻と比較すると見劣りしました。
でも決して読んで損はないです。



そして最後は今日読み終えた小林秀雄です。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

初体験でした。
そして表現力の豊かさと教養レベルの高さと語彙の多さに度肝を抜かれました。
モーツアルトの曲は明るいんだけど、どこか悲しみを感じる、という意見はよく聞きますが、元はこの方でしょうか。

  • 何を不服を言うことがあろう。例えば海が黒くなり、空が茜色に染まるごとに、モオツアルトのポリフォニイが威嚇する様に鳴るならば。
  • 和声組織の実験器としてのピアノの多様で自由な表現力の上に、シュウマンという分析家が打ち立てた音楽と言葉との合一という原理は、彼の狂死が暗に語っているように、甚だ不安定な危険な原理であった。ワグネリアンの大管弦楽が口を開けて待っていた。この変幻自在な解体した和声組織は、音楽家が、めいめいの特権と信じ込んだ幸福や不幸に関するあらゆる心理学を平気でそのまま呑み込んだ。
  • 美は人を沈黙させるとはよく言われることだが、このことを徹底して考えている人は、意外に少ないものである。
  • 僕は6つのクワルテットの最初のもの(K.387)を聞くごとに、モオツアルトの円熟した肉体が現れ、血が流れ、彼の真の伝説、彼の黄金伝説は、ここにはじまるという想いに感動を覚えるのである。
  • 確かに、モオツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、「万葉」の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。
  • 強い精神にとっては、悪い環境も、やはりあるがままの環境であって、そこに何一つ欠けている処も、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけがない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。
  • 独創家たらんとする空虚で陥穽に充ちた企図などに、彼は悩まされたことはなかった。模倣は独創の母である。唯一人の本当の母親である。二人を引き離してしまったのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会えようか。

この言葉選びは、一流ギタリストのソロパートにおける官能的な音選びに通じるものがあります・・・。